第2573回 卓話 「私の職業奉仕」
山本淳一君
七沢温泉元湯玉川館は明治35年、座間より来て、宿を引き継いだ。湯治宿の客は農村の方が多く、田植え前には体づくり、田植え後には骨休め、秋には刈り入れ前の体づくり刈り入れ後の骨休め、と繰りかえし利用があった。当時は予約などはなく、「何処の○○さん、もう来る頃だろう」と待ち構えていると姿が見え、部屋に誘いつい私室まで客で溢れた。父(大正2年生)の記憶に夜具庫が空いたのでそこに寝かされた覚えがあったとの事、その賑わいは湯場3軒で箱根の宮ノ下を凌ぐ数だという図書があると聴く。幾日滞在したかは定かでないがお風呂ではのど自慢の声、いずれ他の2軒の宿からの参加を得て義太夫大会にまで発展したそうだ。
時がすぎ、現在「現代湯治」とうプランを出している、ストレス社会の中で、自然の中で岩瀬を流れる水の音に耳を傾むけ、木々を渡る風音を聴くそして我に返る事もストレスを軽くすることだと思う。(元気づくり、心休め)の現代湯治が必要だと思う。リピーター客が一昨年21%今年は31%一人旅、連泊も増えてきている。源泉は宝永年間、岩間から湧く水に傷ついた蛇が身を浸しながら通ってゆくのを何回か見て「くすり湯」だろう、と汲んで台所や風呂に使うと自宅の井戸水との確かな違いを感じていた。安政2年この水源の所に宿を開業したと聞く。昭和37年県がリハビリテーション施設をどこかにつくりたい、と中川温泉・鶴巻温泉・七沢温泉の源泉を調査し、機能回復訓練には七沢が適しているとの温泉地学研究所からの報告が出され、七沢リハビリテーションセンターが建設された。
10数年以前、白骨温泉が端を発したにせ温泉問題では市役所、JTBなどのまちがった解釈に対決する事もあり、「むかしからの湯場3軒は強アルカリ鉱泉を何があっても守ってゆこう」と新めて結束を強くした。今日はテーマ「私の職業奉仕」の真部が薄くなってきましたので、私は職業柄「サーヴィスの心」って何だろうと考えていました。ロータリーで山口巖雄会員が市内12校に境野勝悟先生(国文学者)の講演をプレゼントしようという活動があり、私も市内最小の玉川小学校のPTA会長だったので応募をし、体育館でお話を伺い終えてから熱心な父母から「先生のお話をもっと勉強したい」との要望があり、先生に懇願し、私共を会場に月1回「心の塾」をひらく事を決めた。10年続きましたが、その中でサービスの心はこれだと思ったのです
「無戝の七施」
一、身施(捨身施)手をさしのべる
二、心施(心虜施)相手の思いになる
三、和顔施 おだやかな笑顔
四、慈眼施 慈しみのまなこ
五、愛語施 やさしい口調
六、房舎施 家に入れてあげる
七、床座施 寒かったらお茶をいれる
お盆月に、先祖の話をさせていただくにあたり、座間から七沢に来た時から黄金井家には大変お世話になって今日があるという事にあらためて感謝をいたします。又、今日は留学生をお迎えに行くので計画書が出来る前から決ってはいたのですが柳田さんには卓話のチャンスをいただきありがとうございました。