第2640回 例会 「クラブフォーラム」

担当:クラブ研修リーダー 山本淳一君
講師:本多正彦君・小林  透君

不易流行
講師:本多正彦君

 山本研修リーダーより、クラブフォーラムで話をして欲しい、「不易流行」でどうだろうと言われ、何とか成るだろうと、お引き受けした次第です。よい機会で「奥の細道」を読み直した。「不易流行」は、弟子の去来の解釈等幾つもあり、「Rの友」の俳壇の選者、長谷川燿の「宇宙感、荒海や佐渡によこたう天河」まで飛躍して終った。ここでは今はやりの「伝統と革新」的な解釈で考えたい。
私の厚木RCへの入会は、1987年1月27日で丁度28年です。
 入会4年経過の1991年の30年記念誌、会員コメント欄に、この伝統のあるクラブではどう対処したらよいか、行動指針として表明しています。

 私の厚木RCへの入会は、1987年1月27日で丁度28年です。
入会4年経過の1991年の30年記念誌、会員コメント欄に、この伝統のあるクラブではどう対処したらよいか、行動指針として表明しています。

 *「私のRC行動指針」昭和62年1月、52才にて当クラブ入会、先代の行動様式が極端に規格外であったとの事であるが、技術屋という規格忠実型の仕事を30年も続けて来た私は、先輩より親切に教えられた、 RCに対する助言を「規格」と受けとめ、それを50%以上遵守しようと努めている。

<規格1>
オーナーは自分で日程を決められるのであるから、例会日を優先的に確保する事。
<規格2>
RCは身体で覚えるもの、それには絶対に、例会、行事等に欠席しない事。知識は求めなくて良い。
<規格3>
RCで決められた事は、素直に従う事。先輩が良きに計らったものであるから。

 入会14年経過の2001年の40年記念誌、会員コメント欄に、この伝統のあるクラブで14年磨かれて、どう対処の仕方が変わったか、勝手な理屈を言っています。
*ロータリークラブへのコメント:歴代RI会長の年度テーマの中で〔ロータリーを楽しもう〕が親しみが持てて、好きだった。先輩方が築かれた厚木ロータリーの40年の伝統の「型」を尊重しながら〔ロータリーを楽しむこと〕は生半可なことでは済まないと思う様になって来た。楽しむための作法があり、この点まだまだ未熟である。50周年を迎えること、ロータリーを楽しんでいることを目標に、先ずは健康でありたい。

以上

入会15年半経過の2002年7月、会長就任の初例会の行動方針発表で「花の例会」に相応しく、たくさんの花々を飾って頂いた事への感謝を述べ、次の事を示した。
*計画書に掲げた〔参加して楽しく、わだかまりが無く、そして、ちょっと得るものがあるわがクラブ〕を目標にして、

①今よりも更に楽しく、魅力的なクラブとは、どの様なものか。
②「ロータリーの原点に立ち戻って考えなさい」と言うが、その原点とは何なのだろうか
③ロータリーは不易流行でなければならない、と言われるが、何が不易(基本)で、どう流行(新しい風)を取り入れれば良いのか。を考えて行きたい。
創立41年の歴史を重ねたクラブとして、チャーターメンバー、パスト会長各位のご教示を受けて、会員皆んなで考え、試行錯誤して、その結果として、何か少し変わったと認識出来れば良いと思っています。

以上

山本リーダーの「不易流行」はこの文章が発端?私は松尾芭蕉の「不易流行」世阿彌の風姿花伝の「秘すれば華」や「初心忘るべからず」等好きな言葉です。
50周年記念例会の来賓、桐本美智子平塚RC会長は、座右の銘として〔秘すれば華。手まりうた悲しき事を美しく〕を掲げています。

終わりに(私見)
1、会長の行動方針発表があって、結果の報告(事業報告)が無いのは片手落ちでした。
2、当クラブの「不易」は伝統を重んじる風土があり。厳とした風格がある。
3、「流行」については良いセンスで、対処している。外部(RI等)よりの押し付け或いは激変を伴うものは受け入れ難く、機が熟すのを待って、消化してきている。

私の厚木ロータリークラブの会員として、28年間どうクラブと向き合って来たか、記念誌、週報に書き残した記録を辿って見ました。テーマの「不易流行」からは外れてしまったが、クラブフォーラムの趣旨に対して参考になれば幸いです。
なほ、創立50周年記念誌の記録は、過去を振り返るだけで、前向きでない故、割愛しました。


親子3代ロータリアン

講師:小林 透君

 おじいさん:第1回例会会場 丸花は夫人ハナさんがきりもりしていた。おじいさんは厚木市議会議員をつとめたがハナさんの強い反対で1期で終えた。私は3才であったが背広を着て車で乗りつけるロータリアンの姿は覚えている。

 お父さん:商工会議所5Fでの例会でフォークとナイフで丸花の洋食をおいしそうに食しているのを何かの機会に見たのが印象的だ。父からよく言われたことで、「100%出席できなければロータリアンになれない」。父は1983年会長に就いた時に病に倒れ、前年会長北村茂さんがその任にあたった。最終例会には復帰でき、しかも桃花林での例会で点鐘したのは鮮明な記憶にある。

 自分自身:父が倒れて15年後1998年7月7日入会をした。ロータリーには3才からの縁があり、周囲には知人が多かった。厚木ロータリーは小宇宙とも思える。このクラブの中で何でもできる結びつきを強く感じる。2012年には会長を承わり、西迫幹事、壽永ガバナー補佐にはお世話になった。これからもロータリーを楽しみながら4代目(息子)に継いで行ければと信じ、期待をしている。

クラブ会報・IT委員会 2015年 1月 27日 火曜日 | | 例会