卓話「私の生い立ち~パート1」
担当:会田義明君
〇生まれたのは「厚木産婦人科」
私は、昭和41年4月27日に父:明、母:敏枝の長男として現在は移動してしまいましたが、三橋会員の紳士服店並びにありました「厚木産婦人科」にてこの世に生を受けました。
〇幼児期は「厚木ヘルスセンター」
生まれてから5歳頃までの幼児期は中町3丁目、現在のミロード2の裏側に位置する第2会田ビルのあるところで育ちました。当時両親はそこで大型銭湯、現在でいうとスーパー銭湯のようなものを経営しておりました。男風呂・女風呂の2つの大きな風呂があり父は番頭をしていました。中には100畳程の宴会場があり、料理も提供され舞台では時代劇や踊りを踊る人がいて鑑賞しながらゆっくりくつろげる場所を提供していました。また、当時現在のようなホテルが厚木になかったので中にはそこで披露宴をした人も何組かいらっしゃったと聞いています。そんな環境の中で育てられたものの、厚木の駅前もどんどん開発され、父は風呂屋だけではこの先儲からないと判断し、思い切ってそこを取り壊し、ビルを建てることを決断致しました。
〇幼少期は「厚木幼稚園」
ビル建設に伴い中町2丁目、現在厚木市のにぎわい処の蓮向かいに祖父:玄四郎の家がありましたので、その裏手の敷地を間借りし引越しをしました。5歳となった私は幼稚園に入園することになりますがなぜかキリスト教系の「厚木幼稚園」に入園致しました。神道系の家にもかかわらずキリスト教系の幼稚園に入園したのは当時そんな幼稚園の数も多くなく、近所の友達みんなが厚木幼稚園に行っていたので、こだわりなく行かせたのではないかと思われます。しかし、幼稚園ではキリスト教系ということもあり、日曜学校というものがあり、日曜日に幼稚園に行かなくてはならない日があり、なんで日曜日まで幼稚園に行かなくてはいけないのかすごくいやがった思い出があり、両親に迷惑をかけた記憶があります。