卓話 「私の生いたち」
担当:市川信也君
私は昭和46年2月1日、父 英美、母 君代の長男として伊勢原協同病院で生まれました。
(ちなみに2月1日は厚木の市制記念日でもありあゆころちゃんの誕生日でもあります。)
当時、病院が出来たばかりでしたので私が第1号の赤ちゃんだったそうです。
そして幼稚園は伊勢原の山王幼稚園という幼稚園に行きました。当時玉川から山王幼稚園に行く人は少なく同い年の再従兄弟と一緒に通っていました。いつもどちらかの家の人が送迎してくれていたのですが、一度迎えが遅くなり、二人で三ノ宮の山王幼稚園から白根の母の実家まで歩いて帰り、大変怒られた思い出があります。
そして小学校は家の向かいにある厚木市立玉川小学校へ入学しました。この小学校は私の曽祖父が昭和10年に当時の一万七千円(現在でいうと約5000万円程度でしょうか)で建築請負をした木造校舎です。掃除の時、廊下を雑巾がけすると雑巾にささくれが刺さることがあり痛かった思い出があります。また、皆様ご存知の通り自然がいっぱいの所なので、釣りをしたり、虫を採ったり、野球をしたりと外でよく遊んだことを覚えています。それから山本様とは父、お嬢さんと弟がそれぞれ同級生ということで夏になると旅館の一番奥の天然水のプールで、弟に便乗して私もプールに入れてもらったことを良く覚えています。すごく水がきれいなプールでした。ただ天然水なのですごく冷たかったです。