卓話 ロータリー雑誌月間「これからの『ロータリーの友』」

担当:雑誌広報年史委員長 本多正彦君

講師:ロータリーの友・地区代表委員 海老名RC 髙橋 晃様

「ロータリーの友」誌について
4月は雑誌月間ですので「ロータリーの友」についてお話しします。

  1. 「ロータリーの友」はロータリーの機関紙であり情報誌であります。皆さんも既にご承知ですがロータリーアン3つの義務、その一つは「ロータリーの友」の購読であります。「ロータリーの友」は日本におけるロータリーの機関紙で、国際ロータリー(RI)の認可を受け、ロータリーワールド・マガジン・プレス(THE ROTARIANとロータリー地域雑誌の総称)の一員として発行されているロータリーの地域雑誌であります。
    地域雑誌としての「友」は、ロータリーアンがロータリー・ライフを深めるためにも、またクラブがRIと直結しているという認識のためにも必要な媒体であると言う事をまずご理解頂きたいと思います。「ロータリーの友」はロータリーについての最大の情報誌でもあります。RIの最新情報や世界におけるロータリーの状況やロータリー活動について最新情報を提供しています、また編集に際しては日本全国のロータリーアンが情報や思いを共有できるようなより身近でより親しまれる様に編集されております。
  2. 「ロータリーの友」誌が電子化されました。
    今年1月から「ロータリーの友」が電子化されました、この電子化により何時でも、何処でも「ロータリーの友」を見る事出来て身近になりました、「ロータリーの友」にアクセスしてページをめくりお読み頂き、ロータリーを学んで下さい。
  3. ロータリー雑誌のいろいろ
    ロータリーアンの有効な「ロータリー情報」の活用の仕方は
    世界情報は======RI公式機関紙 THE  ROTARIAN
    日本の情報は=====ロータリーの友
    地区の情報は=====ガバナー月信
    クラブの情報は====クラブ週報
  4. 日本の公式機関紙「ロータリーの友」について
    「ロータリーの友」は1953年(昭和28年)1月に初刊されました。
    創刊当初は3300部、52年後の2005年7月号は11、5万部で通巻631号になりました。そして2013年7月号では9万5,500部で有りました、2014年3月号は通巻735号となりました。
  5. ロータリーの友の由来
    初刊に際し機関紙の名称がいろいろと議論され最終的には「タリーの友」と命名されました。この名称の由来は当時の女性雑誌主婦の友にあやかって命名されたと言われますが別説としてビールの友からのヒントとも囁かれ手います。この方が親しみやすいと考えました。
  6. 「ロータリーの友」編集方針
    公式地域雑誌は「手続き要覧」に有るようにその雑誌を発行している地区のガバナーが任命した委員会が直接監督する事になっています。「ロータリーの友委員会」の委員長は地区ガバナーに対して「友」運営の一切についての責任を負っています。「ロータリーの友」は日本ロータリー34地区のロータリークラブ会員ための公式地域雑誌として、国内の地区、ロータリークラブ及び会員の活動状況を紹介して親睦を図り、また、国内外における各種ロータリー情報を掲載することによりロータリー精神の普及、ロータリー活動の発展に寄与することをその目的としています。
    投稿原稿は紙面の都合上、総て掲載することはできません。また、制限字数を超えるものは短縮して掲載します。投稿規定は各欄を初め、あるいは末尾に掲載してありますので多くの会員の投稿をお待ちしています。また、他人を誹謗する記事や公序良俗に反する記事は掲載できません。総ての投稿原稿の取り扱いは常任委員会、編集部一任となっています。

多くの皆様の投稿お待ち申し上げます。(Eメール hensyu@rotary-no-tomo.jp))

「ロータリーの友」2780地区代表委員 髙橋 晃

クラブ会報・IT委員会 2014N 4月 25 金曜日 | | 例会 |

卓話「2013 規定審議会報告」

担当:壽永純昭君

壽永純昭君

 

髙橋 宏会長

 

詳しくは PDFをご覧ください。

クラブ会報・IT委員会 2014N 4月 17 木曜日 | | 例会 |

春の親睦例会(移動)

担当:親睦活動委員長 鈴木茂男君 場所:元湯玉川館

会長挨拶

 

親睦委員長挨拶

 

乾杯

クラブ会報・IT委員会 2014N 4月 17 木曜日 | | 例会 |

卓話「識字率向上 ロータリー財団6つの重点分野のひとつとして」

担当:社会奉仕委員長 米山尚登君

講師:髙木直之様 RI第2780地区 地区奉仕プロジェクト副委員長

識字率向上のためにできること
• 海外で
  海外のクラブと連携し、識字プロジェクト
  日本のNPOと提携し、海外での識字
  プロジェクト支援(かものはしプロジェクト)
• 国内で
  難民の日本語教育(難民支援協会)

詳しくは をご覧ください。

クラブ会報・IT委員会 2014N 4月 17 木曜日 | | 例会 |

卓話「私の生い立ち」

担当:西迫 哲君

クラブ会報・IT委員会 2014N 3月 31 月曜日 | | 例会 |

卓話「私の生い立ち~パート1」

担当:会田義明君

〇生まれたのは「厚木産婦人科」
私は、昭和41年4月27日に父:明、母:敏枝の長男として現在は移動してしまいましたが、三橋会員の紳士服店並びにありました「厚木産婦人科」にてこの世に生を受けました。

〇幼児期は「厚木ヘルスセンター」
生まれてから5歳頃までの幼児期は中町3丁目、現在のミロード2の裏側に位置する第2会田ビルのあるところで育ちました。当時両親はそこで大型銭湯、現在でいうとスーパー銭湯のようなものを経営しておりました。男風呂・女風呂の2つの大きな風呂があり父は番頭をしていました。中には100畳程の宴会場があり、料理も提供され舞台では時代劇や踊りを踊る人がいて鑑賞しながらゆっくりくつろげる場所を提供していました。また、当時現在のようなホテルが厚木になかったので中にはそこで披露宴をした人も何組かいらっしゃったと聞いています。そんな環境の中で育てられたものの、厚木の駅前もどんどん開発され、父は風呂屋だけではこの先儲からないと判断し、思い切ってそこを取り壊し、ビルを建てることを決断致しました。

〇幼少期は「厚木幼稚園」
ビル建設に伴い中町2丁目、現在厚木市のにぎわい処の蓮向かいに祖父:玄四郎の家がありましたので、その裏手の敷地を間借りし引越しをしました。5歳となった私は幼稚園に入園することになりますがなぜかキリスト教系の「厚木幼稚園」に入園致しました。神道系の家にもかかわらずキリスト教系の幼稚園に入園したのは当時そんな幼稚園の数も多くなく、近所の友達みんなが厚木幼稚園に行っていたので、こだわりなく行かせたのではないかと思われます。しかし、幼稚園ではキリスト教系ということもあり、日曜学校というものがあり、日曜日に幼稚園に行かなくてはならない日があり、なんで日曜日まで幼稚園に行かなくてはいけないのかすごくいやがった思い出があり、両親に迷惑をかけた記憶があります。

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クラブ会報・IT委員会 2014N 3月 18 火曜日 | | 例会 |

創立記念例会(53周年)

担当:髙橋 宏会長

会長挨拶

乾杯!

クラブ会報・IT委員会 2014N 3月 11 火曜日 | | 例会 |

卓話「私の生い立ち」

担当:前田賢一君

詳細はは25342598回PDFをご覧ください。

クラブ会報・IT委員会 2014N 3月 06 木曜日 | | 例会 |

卓話「ロータリーと私―入会当時を振り返って―」

担当:柳田純昭君

入会日:1997年(平成9年)2月25日入会 47歳11カ月
(2月18日ゲストとして初めて例会に参加)
スポンサー:國方達央
職業分類:農業機械販売
入会金:100,000円
年会費:250,000円
例会場:旧商工会議所
所属委員会:社会奉仕委員会(委員長:堀紀夫)
【1996-97年度】
RI会長:ルイス.ビセンテ.ジアイ(アルゼンチン)
テーマ:築け未来を、行動力と先見の眼で
会長:櫻井靖次  副会長:会田明
幹事:前田俊昭  副幹事:國方達央
ガバナー:河本親秀(大磯RC)
分区代理:石川範義(厚木中RC)
入会時会員数63名
(チャーターメンバー4名40歳台18名)
明 台鎬(韓国 米山奨学生)
100%出席例会継続中
[主な行事]
3月04日:創立記念夜間例会(商工会議所)
3月11日:情報委員会(大和屋)
3月13日:海老名欅RC認証状伝達式
3月22日:例会1800回記念の植樹(上古沢緑地)
5月11日:地区協議会 神奈川歯科大学へ
5月20日:1800回記念夜間例会(大和屋) 厚木市へ
     モミの木贈呈式
5月26日:相模川クリーン作戦
5月27日:例会初欠席、厚木中RCへ事後メーキャップ
6月17日:クラブ協議会で社会奉仕委員会の報告
6月24日:最終例会(夜間 桃花林)
●父が以前入会していたが、すぐに退会してしまったこともあり、非常に緊張していて出席だけは頑張ろうという強い思いがあった。入会後の4か月間は、何もわからず夢中であまり思い出せず、ただ言われたことを必死でやっていたような気がする。
【1997-98年度】
RI会長:グレン.W.キンロス(オーストラリア)
テーマ:ロータリーの心を(あなたの住むところ私たちの世界そこに住むすべての人々に)
会長:会田 明 副会長:石村隆明
幹事:関野広治 副幹事:吉岡敏
ガバナー:小山計玄(伊勢原RC)
分区代理:山下恵代(座間RC)
会員数(7月1日現在):61名
(チャーターメンバー4名 シニアアクティブ32名)
平均年齢:58.5歳(40歳台15名)
2780地区へ4名 100%出席例会継続中

一般会計予算:約1,700万円
所属委員会:親睦活動委員会(委員長:石井和夫)・青少年委員会(委員長:難波有三)[主な行事]
07月29日:初めての卓話「日本の農業を考える」
08月05日:納涼例会(キリン横浜ビアビレッジと横浜「エクセレントコースト」での懇親会)
10月21日:ガバナー公式訪問
10月14日:職業奉仕、親睦例会(NTT厚木研究センター視察と元湯玉川館での例会と懇親会)
11月09日:地区大会 湯本富士屋ホテル
11月18日:認証状伝達記念例会(夜間 小田急厚木ホテル)
12月16日:忘年家族親睦例会(夜間 ロイヤルパークホテル) 懇親会の司会を担当 
01月08日:4クラブ合同賀詞交歓例会     (第一ホテル海老名)
01月27日:青少年交換留学生 エリカ・カーシア・ゴッソ(ブラジル)来日し、例会へカウンセラー:和田正幸ホストファミリー:福住、柳田、石村、山本
03月03日:創立記念例会(夜間 小田急厚木ホテル)
03月03日:地区協実行委員会(黄金井実行委員長)発
03月03日:足食事懇親会委員会(内山委員長)に次年
03月03日:度(石村会長)の会務分担決定スマイル委
03月03日:員会委員長に
04月07日:ジャパンプログラム国際親善奨学生マリセリン・サンタマリア(フィリッピン) カウンセラー:清水忠直
04月14日:新緑例会(夜間 神奈川工科大学下見と
04月07日:飯山観音拝観 大和屋での例会と懇親会)
04月24日:厚木県央RC創立総会
04月14日:(厚木アーバンホテル)
05月17日:地区協議会(神奈川工科大学)食事懇親委
05月17日:員会と部門別協議会の会計部門を担当
05月31日:相模川クリーンキャンペーン
06月02日:地区協慰労会(夜間ロイヤルパークホテル)
06月30日:最終例会(夜間 桃花林)
●新年度に入ってもまだまだロータリーの事は全く分かっていなかった。そんな時、会田会長より交換留学生のホストファミリーを受けるよう指示され、何もわからなかったが妻や子供たちもやってみたいというので引き受けることとした。今思うと大変貴重な良い経験が出来引き、受けてよかったと思っている。そして6年後再びホストファミリー(オーストラリアからのシェナイ)を引き受けることとなり、今でも交流がある。
例会以外の各種大会、行事にもできるだけ参加し、卓話も初めて行った。青少年委員としての活動の記憶はあまりないが、親睦委員としては石井委員長のもと、いろいろな経験をし、12月の忘年例会には、懇親会の司会進行を言い渡され、入会10 ヵ月で忘年例会に参加したことも無く、まったく様子がわからない中、必死で司会をした記憶がある。又、厚木クラブがホストで地区協議会が開催され、新人としていろいろやらせていただき、部門別会議(会計部門)の記録を担当したことも非常に勉強になった。
入会当時を振り返ると、何もわからず夢中で過ごした1年余りでした。翌年はスマイル委員長に指名され、以後、いくつかの委員長を引き受けることになりましたが、入会当初にいろいろなことを経験し、ロータリーの精神、考え方、行動にもっと興味を持ちロータリーを勉強しておけばよかったと今になって思っています。

クラブ会報・IT委員会 2014N 2月 25 火曜日 | | 例会 |

卓話「生い立ちの記(1)」

担当:本多正彦君

満79歳にあと2日、流れに棹さすことも無く、流れ、流されの年月を遡るとする。
厚木ロータリークラブでは、大貫嘉一さんが、神奈川新聞に「私の履歴書」を連載され、波乱万丈の生き様を示され。和田正幸さんはクラブの卓話で話され、週報の原稿も丁寧なものでした。私は出生から、年を追ってその時代等の記憶を思い出して行きます。独り善がりの、他人には全く興味のない事柄、しばらく我慢して下さい。
1935年 1月30日 東京市品川区五反田町の田谷病院にて、前田源一郎、梅子の次男として誕生・住所は京王線の幡代駅(廃駅)のそば、渋谷区幡ケ谷
1940年 皇紀2600年の祝賀式典が印象にある。1941年 学制改革で国民学校となり入学「サイタ タイタ」ガ「アカイ アカイ」に。12月8日、真珠湾を奇襲、太平洋戦争始まる。
幼少の頃、病弱で、母が名医を捜して尋ねてくれた。耳鼻科の神尾病院、眼科は淀橋病院、現在の東京医大の馬詰先生(後の院長)や上野池之端の井上眼科など、今も雑誌などに紹介される病院です。改めて母の思いに頭の下がります。
戦争は、初戦華々しい戦果を挙げていたが、1942年7月のミッドウェイ海戦以降は暗転していった。
1943年 4月、山本五十六連合艦隊司令長官戦死、5月国葬を甲州街道にて見送る。
同年 夏 学童陳開が始まり、長野県北佐久郡のお寺との話あり、父の故郷の栃木県宇都宮市相生町に一家で疎開、昭和29年3月、宇都宮高等学校卒業、早稲田大学第一理工学部入学を期に、東京駒込に戻る。
疎開は中島飛行機の宇都宮への帰りのトラックで引っ越し。街の中心地「バンバ」の親戚の家に仮住まい。中央国民学校の3年生に転入。言葉(方言)に驚いたが、すぐに「だんベー」言葉の仲間入り。今流行の「イジメ」は鈍感だったのか体験していない。
1945年 7月、深夜。宇都宮大空襲、当時大谷石造りの「松が峰教会」の近くの高台に住み、市内全域が全焼する光景が、鮮やかに脳裏に焼付いている。父の匂に「薔薇火と(しょうびひ)燃えしと見たる人いわず」があります。
その後すぐ、家は焼けずに残ったが、又北へー里半ほどの豊郷村の農家へ疎開、西へ一里ほどの豊郷小(5年生)へ転校して、毎日裸足で通った。
1945年 8月15日 敗戦。学校の校庭に整列して、戦争が終わった訓示があった。
しかし、詳しいことは後に知った知識と重なっている。その後しばらく豊郷村で過ごした。麦刈りの手伝いをして、大きな「おむすび」を貰ったこと、柿泥棒をした事、などの思い出があります。6年生になって宇都宮の西部に戻り、元の小学校へ。
1947年 4月 新学制6・3・3・4となり、新制一条中学に入学。
二年生の時、眼病が悪化して、一年留年、西大寛町に庭つきの家を求め落ち着く。近くの女子高校に版画家の川上澄生が寄宿していて、父と交流があり下駄履きで遊びに来た。
この頃、宇都宮でも、疎開者は食料不足で、母と物物交換の買い出をした事が印象に残っている。サツマ芋、カボチャは十年ぐらい前までは見るのも嫌でした。
中学時代は男女共学です。先生や、他の中学よりの友人の影響で「生物、特に昆虫採集に興味を覚え、近く、やがては遠くの山野へ捕虫網をもって遠征した。
後に国蝶に指定された「おおむらさき」などを自慢でした。標本箱も幾つも作った。また戦後東京よりの転校生で数学に優れた友人が仲間入りした影響で、数学は高校生レベルまで興味を持った
1951年 3月県立宇都宮高校(男子高、創立1879年)に入学、中学の仲間は他の普通高、商業、工業、女子高に別れて進学、{中学卒業で就職が過半数}の時代でした。
学校は進学校であり、勉強しなくても成績優秀な天才もおり、多少、勉強する気に成ったが、眼病の後遺症もあり、無理は出来ませんでした。受験勉強は、東京の古本屋で求めた「荒巻鉄雄の英文解釈」の熟読「旺文社の蛍雪時代と赤尾の豆單」の活用程度でした。但し、地方のため、受験情報はあまり無く、母親も関心は薄かった様です。
*同窓会 戦争中の小学校はそれぞれ数人の友人がいる程度、中学校は留年後は今でも担任の先生が健在で3 ~ 5年間隔で大宮でクラス会を開催、女性が極めて元気。高校は昭和2 9年卒業で「笑福会」と称し、近年盛んで、宇都宮の本部、東京の支部とも、年に数回開催。
1954年 3月高校卒業。東京都駒込に一家で転居。
1954年 3月早稲田大学第一理工学部に入学
高校の同級生の対象校は先輩の多い東北大学が主。
親友も東北大学に多数進みました。私は東京に戻りたくて、幾つか受験し、留年で1年遅れていて浪人は適わないが、幸い本命の大学、学部に合格しほっとした。
父は文筆業、世襲する様な才能も無いので、興味のあった理系、工学系を選んだ。
なほ、宇都宮時代再疎開した北、東の豊郷村等は1954年町村合併で、続いて1955年南、西の雀宮等も宇都宮市が併合した。
大学の専攻は機械高学科で、内燃機関の渡部寅次郎先生の研究室で「ディゼル機関の燃焼」をテーマに4名で卒論の勉強をした。丁度4人です。麻雀全盛時代、卒業実験を口実に、まず卓を囲む事からの時代でした。
大学時代の華はやはり、六大学野球、そして早慶戦です。宇都宮高の同期の中村正三も選手、ピッチャ一石井連蔵等、何回か優勝の美酒、新宿の夜を覚えています。そして長島茂雄の打球、ライナーは眼に焼き付いている。また落語研究会(おちけん)にも入ったが素人はだしが多いので敬遠ぎみでした。柳家小さん、連れの小ゑん(談志)など大隈庭園の吾妻家で、「はなし」を沢山聞かせて貰いました。
1958年 3月大学の卒業論文が無事合格し、卒業出来る事となった。
就職先として、宇都宮とも縁があり、スバル360の発表も知っていた富士重工業を教授が推薦されたので、早々と決定しました。
卒業論文の四人はその後もグループとして、数名の仲間を加えて、今でも付き合いを重ねています。九州の普賢岳の噴火の直前(1991年5月)に、長崎に集まったとき。毎年一回は夫婦でゴルフを楽しもう。年末には卒論の在京メンバーが新宿に集まり、忘年会とゴルフ計画を決めているが、そろそろ、年齢も考えて見直し頃と思っている。
丁度、就職前までの流れを、思い出しつつ書き留めたが、一昨年宇都宮の同期会に参加した折に、豊郷村や小学校の見当を巡回したが、全く変わって以前の面影もなかった。宇都宮美術館当たりが、裸足で通った小学校かと感慨深かった。

クラブ会報・IT委員会 2014N 2月 25 火曜日 | | 例会 |