卓話 「私の生いたち」

担当:市川信也君

私は昭和46年2月1日、父 英美、母 君代の長男として伊勢原協同病院で生まれました。
(ちなみに2月1日は厚木の市制記念日でもありあゆころちゃんの誕生日でもあります。)
当時、病院が出来たばかりでしたので私が第1号の赤ちゃんだったそうです。
そして幼稚園は伊勢原の山王幼稚園という幼稚園に行きました。当時玉川から山王幼稚園に行く人は少なく同い年の再従兄弟と一緒に通っていました。いつもどちらかの家の人が送迎してくれていたのですが、一度迎えが遅くなり、二人で三ノ宮の山王幼稚園から白根の母の実家まで歩いて帰り、大変怒られた思い出があります。
そして小学校は家の向かいにある厚木市立玉川小学校へ入学しました。この小学校は私の曽祖父が昭和10年に当時の一万七千円(現在でいうと約5000万円程度でしょうか)で建築請負をした木造校舎です。掃除の時、廊下を雑巾がけすると雑巾にささくれが刺さることがあり痛かった思い出があります。また、皆様ご存知の通り自然がいっぱいの所なので、釣りをしたり、虫を採ったり、野球をしたりと外でよく遊んだことを覚えています。それから山本様とは父、お嬢さんと弟がそれぞれ同級生ということで夏になると旅館の一番奥の天然水のプールで、弟に便乗して私もプールに入れてもらったことを良く覚えています。すごく水がきれいなプールでした。ただ天然水なのですごく冷たかったです。

中学校は玉川中学校に行きました。小学校五年生の時までは玉川小学校の横に中学校があったのですが、鉄筋コンクリート造になると同時に現在の玉川の一番し もの所に移動しており、そこまで自転車で通っていました。当時は自転車通学が許されており、それは楽しかった思い出があります。
部活はキャプテン 翼という漫画が出だしたところで、その影響をまともに受けてサッカー部に入りました。当たり前ですが漫画の様にできるはずもなく弱いサッカー部でした。今 とは違いどんなに喉が渇いても水を飲んではいけなかったので、水溜りの水がすごく美味しそうに見えたことをよく覚えています。今は水を買って飲むことが多 いですが、あの頃は水道水が本当に美味しく飲めたと思います。この文章を考えながら少し考えさせられました。
高校は町田にある日本大学第三高等学 校に行きました。高校受験の時、父の母校でもある厚木高校を目指して勉強していましたが、今ひとつレベルが足りなかったのでしょう。先生から「受けるのは いいが受かるか解からない」という風な事を言われ長男だから家の後をやるのに大学をストレートで出たほうがいいのではないかと勧められ、付属高校を受験し ました。日大三高は付属高校ですが、TOP50人位は外部の大学に進学していて、私も入学当時はTOP50に入っていたのですが社会勉強の方向に行ってし まい、大学は日本大学文理学部に入学しました。先日教育関係者の偉い方が「若い頃、もう少し勉強しておけば良かったという人は沢山居るが、勉強した人で損 をしたという人は一人もいない」とおっしゃっていましたが、自分も本当にもう少し勉強しておけば良かったとつくづく思います。四年間楽しく過ごさせてもら い一番楽しかった時です。そして卒業後は就職ということになるのですが高校、大学と社会勉強ばかりしており、バブルが崩壊して、まもなくでしたので、実家 で取引のあった松下電工(現在のパナソニック㈱)に入社しました。とはいえ入社試験があり、バブル崩壊後の採用人数が前年の半数となる中、何とか合格出来 ました。しかし入社すると周りは優秀な人ばかりでこれは困ったということになりましたが、人より余計に働けばいいやと思い徹夜をしたりしながら一生懸命働 きました。当時の松下電工について少し話しをしますと、大阪の門真という駅の前にあり、松下電器産業と松下電工の本社が並んで建っており駅を出て左に行く と松下電器、右を行くと松下電工という立地でした。他の松下電器子会社はほとんど100%の株を松下電器がもっていたのですが松下電工は51:49という 持ち株比率でした。
また、松下幸之助氏が初めて作った二股ソケットという創業の事業を受け継いでいたことから松下電器とは兄弟会社という感覚があ り松下幸之助会長以外は松下電器の社員はおらず、本家はこっちだというようなライバル関係にある感じでした。また、松下幸之助氏が亡くなってまもなくであ り、幸之助氏の考え方が色濃く残っており本当に先輩や上司の面倒見の良い会社で商売や社会で必要な色々な事を勉強させてもらいました。この4年間本当に今 まで勉強していなかった分を勉強させてもらい最後は辞めないでほしいと言われるまでに仕込んでもらいました。松下電工様には今でもとても感謝しておりま す。
そして市川屋へ戻りまして、現在は父が会長、私が二年前から社長ということになり母と弟二人と弟の嫁さんが一人、身内が六人居る状態で会社を経営しております。家族で一致団結し社員に助けられながら日々頑張っております。
仕 事の内容は、原木の製材、プレカット加工、販売という一般的には別々の会社で行われている、三つの事業を一つの会社で行っております。これは松下電工とい うメーカーにいた経験から実家に戻り仕事をしていく中で、元々市川屋は創業時、製材業だったのですが時代の流れともに販売業、プレカット業がメインとなっ ておりましたところを、更なる流通の合理化を図り、メーカー的機能である製材を再構築し、加工、販売までを一貫して行えば、コストダウンを図れ、良いので はないかと考えておりましたところ、父も同じ考えをしていたようで、家族と相談しながら、製材を再構築し、さらに約5年前より神奈川県産の木を使い製材 し、プレカット行うことで地産地消の木材流通を主力に進めております。この三つの事業をひとつの会社で行っているのは業界でも稀であります。
また入会のご紹介を頂きました黄金井様には曽祖父の時代から山の木を譲って頂いたり、ご指導を賜ったりして大変お世話になっております。
今後も地産地消ということで、少しでも地元のお役に立てればと思っています。
このような私ですが今後とも是非宜しくお願い致します。

クラブ会報・IT委員会 2014年 5月 22日 木曜日 | | 例会